房総の旅(備忘録)鹿島神宮(常陸国) 2編 武甕槌大神
たけみかづちのおおかみ
駐車場にすんなり止めらました。
早朝の神社は気持ちいい。
8時以降になると神社は慌ただしくなります。駐車場は御朱印帳の受付が始まります。合わせて駐車場の係員が駐車場料金の徴収が始まります。
ほんと境内はソワソワし始めます。静けさと奥ゆかしい鹿島神宮が観光の鹿島神宮に変わる瞬間を目にする事ができました。
朝の地元のひとの賑わいから観光旅行者の方へと人が入れ替わるのですね。
鹿島神宮の境内には不思議な伝説がある所々をかなり見落としてました。要石へ向かって私らが歩いていると、この地のガイドさんに朝の散歩中に、呼び止められました。なせ私どもなのか!不思議ですね。おかげで奥の深い鹿島神宮を見ることができました。そのお方は神社境内の事を案内するガイドさんだったのです。わたしは呼び止められた運の良い人です。
山王日枝神社や筑土神社の縁から運の良さがさらに動き始めてるのかな。なんて思いながら探索することになりました。
鹿島神宮の境内を歩く中ででは、歓迎のサインが多く起きました。わたしの行くところ行く所に、木の葉が降ってくるのでした。
では、鹿島神宮の探索、まずは〜
大鳥居をぐぐると、楼門が聳え立ってます。
向かって右手に稲荷社
左手は手水舎と摂社末社があります。
くぐる前に、稲荷社へ御挨拶いたしました。
稲荷社の鳥居です。立派ですね。
稲荷の狐がたくさんいます。
こちらを参拝してから手水舎へ向かいました。
手水舎は少量ですが常に水が出ております。
まだ楼門へは入りません。
摂社末社が脇にありましたので、コチラに御挨拶。
熊野社
祝詞社
津東西社
須賀社
坂戸社
沼尾社
以上が摂社末社でした。
楼門の手前に案内版を読むと、
奉納された方は、初代水戸藩主 徳川頼房公でその継の代があの水戸黄門 光圀公のことについてが書かれておりました。
境内に入ると、カミナリマークと年輪を重ねた木の輪切りが立て掛けておりました。この意味は?なにか早朝に会えた非番のガイドさんに聴きたかったです。
宝物館、開館は8時のようです。
朝方は警備員の方が立ってました。国宝に値する刀が展示拝観できるようです。
この先に、拝殿が現れます。
この静けと空気が澄んでおります。森林浴が受けれました。早朝参拝の恩恵ですね。1時間もすると、参拝者でにぎわいます。
拝殿の奥には神木がある事を知らずに、このまま先へ進んだのです。
朝の散歩中の神社のガイドさんに呼び止められなかったら、知らずにこの場を去ったのでした。
帰り際に朝の8時少し前でしょうか、ロードタイプの自転車でなにかイベントの出発式を行っておりました。
祝詞を語ってる様子をみていると、拝殿鳥居の外にでて建物内の角から斜め方向に祝詞を読んでいました。その方向は後日鑑むと要石だったようです。
この他、拝殿の奥にある本殿に立っている神木は杉の木です。社殿隣の二郎杉ではありません。
社殿の周りにある柵を通って観れるそうですが、扉が閉まって開けられる事はなかったです。ここはパワースポットとして鏡石に並んで注目されているようです。
遠巻きに「神木杉」の存在を知る事ができました。神社の早朝は縁と運を重ねることが起きますね。感謝です。
鹿島神宮は伊勢神宮のように20年に一度社殿の遷宮が行われていたそうです。現在の社殿は二代目将軍 徳川秀忠公が1619年元和5年に奉納された建築物だそうです。
向かいに仮殿という建物があったのはそのためだったのです。
その仮殿は〜コチラ
仮殿
社殿を20年に1度立て替える時に神様に移ってもらう社殿なのでした。
鹿島の七不思議についても案内が書かれております。
ちなみに本殿の奥にある神木
取り囲むように柵があります。
脇を通って拝見できる時もあるそーです。
さらに奥地へ進みます。
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